壮志塾流の『天誅』は何通りかに別れるものである。
言論をもっての『筆誅』、武力をもっての『天誅』。これは、我々壮志塾が論議的武装・精神的武装・行動的武装、すべてに於いて『武装』していることを表すものである。
筆誅などは、どんなに過激に書いてもたかが知れているかも知れないが、天誅は、本当に國賊を斃すまで武力行使をせねばならない。故に、天誅とは軽々しく言えるものでもないし、亦、行えるものでもない…。
しかし、時には事の大小を問わずに天誅を下さねばならない賊徒というものは、この時世柄必ず現れるものである。無論壮志塾に於いても然りである。
実際、壮志塾も賊徒の成敗に出動したことがある。これは無論、行動的武装、即ち『天誅』であった。想像を絶する拷問につぎ、賊徒の命は一度は絶えた。結局は蘇生したのだが、天誅とは相手を懲らしめるためにあるものではなく、相手を消し去る為にあると存ず。故に天誅活動に赴く際には我々は殺人罪をば恐れず、唯唯祖国の為を思い、天誅に専念せねばならないと存ず。壮志塾は、武力行使をば肯定する団体であるが、軽々しく武力を用いることはしない。壮志塾が天誅するに値すると判断した時のみ、我々は自己を滅却した護国の鬼神となりて、斬奸の剣を暗夜に振りかざすものである。
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